藤田一照仏教塾「仏教的人生学科 一照研究室」前期受講生レポート

「これからの時代にを生きる人たちに、仏教の知恵を生きるヒントにしてほしい」 このメッセージは、塾に関わっていた四ヶ月の間、ずっと意識に残っていました。

それは、今を生きる自分自身が生きるヒントを求めていたからに他なりませんが、思いやりという立ち位置から、自分本来の力を発揮して、溢れる泉のようにエネルギーを循環させてたくさんの人の役に立つあり方が必要だと感じていましたからです。「自分本来の状態って?」その疑問への答えは、正思惟ではない、止まらない思考から脱したり、外からもたらされる出来事への反応に気づいたり….まだ眠っている力を発見したり、目には見えない周囲との結びつきに気づいたりすること、などです。「私たちが何かに気づくのではなく、気づきの中を泳いでいる」一照さんからの最後のメッセージは深く残り、塾で学んだことが集約されているように思って、それから、確かめ続ける日々を過ごしています。 私たち自身が気づきそのものならば、自分は世界と分かち難くその一部であり、瞑想から体の感覚が伝えてくれることは、個の認識を超えた魂たちのメッセージで、生命体としてのあるべき姿と心地よさなのかなぁと…今はそう感じています。

そんな気づきと進んでいくと、問題が起こった時に自らの葛藤や利己心を魂の本質から見つめ続け、見るのを無意識に避けていた自分と直面することもあり、時にしんどいですが、受け入れることで起こる変容に、じっくり取り組みたいと思っています。加えて、最近、可能性を諦めたり否定していた感情に気づいたのですが、でも、世界のダイナミズムの一部ならば、無常の流れのうちで気づきから学び、それを積み上げているうちに無力感と向き合う必要もなくなるのだなと、自身と世界との距離がぐっと近づいた感覚があり、心地よかったです。

最後に、一照さんの全体的な軽やかさは何よりの見るお手本でした。 自分へのこだわりを手放した在り方なのか、修行の先に行き着いた内面の場所なのか、いつか一照さんのような境地に辿り着いてみたいと思います。
深く楽しい学びの時間を、ありがとうございました。

(30代女性・Sさん)

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この4月から受講をして、“今ここ”を大切にして生きるという姿勢や在り方を、日々の生活の中で自然とするようになってきている自分がいるように思います。普段気にすることなくごく当たり前にしている呼吸というものへ意識を向けること。そうすることで、“今ここ”の自分という存在を感じることができます。今自分のからだが、どんな感じなのか。そのことを探っていくと、こころがだんだんと静かになっていくような感じがします。

普段の生活においては、意識的に自分自身に時間をつくらないと、多くの場合、目の前のことに追われてしまいがちです。でも、その追われているものの正体を探っていくと、“今ここ”のことではなく、多くの場合は過去のことやこれから起こるであろう未来のことについて気になっていたり気にかけていたりすることが多いのです。自分自身がいつも気を削がれているものの正体は、過去や未来に対してのことであり、そうしたことに気を囚われるのではなく“今ここ”に自分の視点を向けてみることの大切さというのは、この場を通してはっとさせられたことの一つです。日々の生活の中で、何かに追われてしまっている時、“今ここ”という視点に立ってみると、それまでの自分を違った視点から捉えることができ、何を大切にしたらいいのかということが見えてきます。

また、今の現代人にとっては、ただ座禅をするというのは十分ではなく、からだというものに目を向けて、そこからのアプローチからウォーキングアップをした上で、座禅に入っていくということがとても重要なように思います。私たちのからだは、この社会で生きていく上で、知らず知らずのうちに社会化しています。こうした状況の中では、自分自身のからだそのものが今どうなのかということへ目を向けるための準備が必要なのだと感じています。このような、からだからの“仏教する”ということへのアプローチの先には、自分のまだ見ぬ世界が広がっているように思います。

この仏教的人生学科一照研究室では、“仏教する”とはどういうことなのか一照さんのこれまでの体験に基づくお話やからだへのアプローチ、そして英語という日本語とは違った言語の文献を介すことによって、ただ日本語として“仏教する”ということを捉えるよりも、実にシンプルに“仏教する”ということに出会うことができます。こうしてさまざまな視点から“仏教する”ということについて出会うことができるということはとても興味深いことです。日々の生活をちょっと立ち止まって、“今ここ”を大切にして生きていく上で、とてもいい場です。

(20代 男性 Hさん)

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《名詞の「仏教」ではなく、動詞の「仏教する」とは何か》

3 月のプレ企画での、一照さんの最初の言葉が今でも鮮明に耳に残っています。その確認 を自分に問いながら、学び続ける 4 カ月になりました。「仏教を学ぶのではない。 仏教を通して(ツール)として、何かを生み出すことを学ぶ。」影響を及ぼした多くの言葉の中から、特に“今の”私、“未来の”私にとって道標となった言葉を中心に纏めます。結論から述べると、自己と人生と向き合えました。それ以上に、私の思考や姿勢(向き合い方)に大きな変化がありました。ジレンマの壁でぶつかり越えられなかった大きな壁を、自由に飛び越えられる(すり抜ける)思考が身につきました。これこそが「仏教する」ということの一つではないかと思います。

『Awareness』
今年に入ってある人と話す中でよく耳にする英単語でした。英語が苦手な私ですが、意味 がよくわからないまま意識に残る不思議な言葉でした。昔から相手が気づいていない「気づき」を見つけることができ、「なぜわかる」のかと聞かれていました。今までそのことを意 識してきませんでしたが、本を読むことと一照さんの話を毎回聴くことで、自分がなすこと を少し意識するようになりました。私も含め多くの人はいろいろな関わりを通して、様々な気づきを持っています。中には、気づいたことを実際に行動に移せずに、悩み苦しんでいる人も少なくありません。頭でわかっても、いや頭でわかり過ぎるからこそ、行動に移せない人が多い。

『「仏教する」ことを理解して、日々の生活に活かしていくにはどうすればいいのか』
このプログラムは、10 時から 16 時までの 5 時間の長い講義です。私は、頭が冴えている午前に頭で学んで“気づき”を、体の緊張が緩くなる午後に体で体験(体感)することで“行 動”のイメージができました。今振り返ると、この流れが「気づきを行動に移す」プロセス だった気がします。多くの人と対話をする中で、気づきを行動に移せた人に「なぜ行動を起こせたのか」と変わった質問をよくします。また気づきを行動に移せずに苦みもがく多くの人もみてきまし た。もし多くの人が気づきを行動に移すことができたら、社会はどうなるのだろう。行動に移せないことで頭に漂うモヤモヤが少しでもとけたら、その人は活き活きとした生き方を 歩めるだろう。そしてその結果、私がつくりたい、よりよい社会になるだろう。これが、一照さんが最後に贈ってくださった人生の宿題のテーマの一つとなった。・・・続く。

・・・これからの私。
今私は訳し家として、ソーシャルの想いをビジネスの形にする翻訳と、ビジネスの成果を社会に伝える通訳をし始めています。その中で必要と思うキーワードが、「awareness」「process」「release」「less」「allow」「paradigm」の6つでした。これら 6つの言葉をつなげずに個別でみてきましたが(分断)、4回+2回(プレ・講演会)の講義でつながっていることに気づきました。まだ終わったばかりで宿題の答えにまでたどり着けていませんが、私のこれから歩む道に、この研究室で学んだことを活かしていきます。そして、ソーシャルとビジネスを、現在と未来を、行き来する思考が、私にとっての「仏教する」であることも再確認できました。最後になりますが、教えを頂いた藤田一照先生、運営企画をして頂いた後藤サヤカさん、乾巧二さん、小出遥子さん、そしてこの企画に誘って頂いた桜井肖典さんに心よりお礼を申し上げます。

(40代 男性 Nさん)

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今回の仏教塾参加のきっかけは、「仏教的人生学科」という名前を見た瞬間に「実践哲学」として仏教を捉える視点が、自分にはドンピシャだったからです。普段から人、社会、自然の関係性の回復や持続可能性について考える機会が多いので、その中でもっとも不可解な「人」という存在が「よく生きる」状態とはどういう状態か?そして、「よく生きる」ために必要なこととは何か?についてこれまでも自分なりに考え、学んできました。
その過程で、宗教、哲学(西洋、東洋)、脳科学など様々なジャンルを学ぶ中で、最近もっとも興味のあるテーマが「実践哲学としての仏教」と「マインドフル瞑想」だったので、まさに今回の仏教塾はドンピシャだったわけです。実は最近流行りの「マインドフル瞑想」についても少し不満がありまして、スピリチュアルな要素を多く語ることで「胡散臭い」ものがあったり、逆に科学的なアプローチとメソッドとして洗練させることを重視するあまり「よく生きるための方法」としての「深み」のないものも多く見られ、自分の求めているものがなかなか見つけられない状態でした。
その点、今回の仏教塾での学びと体験は、毎回とても新鮮で深いものがありました。一照さんの解釈(?)に基づくブッダの教えはとてもシンプルで実践的です。まさに「人」が「よく生きる」ための示唆に富んだ内容ばかりです。
9月から始まる後期では、前期の学びを日常生活で活かすためにはどうすればよいか、がテーマだと聞き、今からとても楽しみです。

現代人の多くは「個人」としても疲弊し、持続可能な状態ではなく、「社会」も制度疲労と人と人とのつながりの喪失から持続可能な状態ではなくなってきているようです。果たして、人類は地球という「環境」の下、持続可能な種でありうるのか、そのために今回の仏教塾の学びをどう活かし、個人としても、社会としても実践してけるのか、後期では、そんなことを考えながら受講していければと思っています。

(30代 男性 Kさん)

「仏教的人生学科 一照研究室」後期受付中!